マネーリテラシーの低さの原因を幼少期の記憶から紐解いてみた。

借金
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おはようございます。限界おじさんです。

本日の記事は、長文となっております。さっそくですが、本題に入ります。

マネーリテラシー

タイトルのとおり、私はこれまで、一時期を除いて貯金をしたことがありません。

お金が足りなくなれば、すぐに借ります。40代にもかかわらず、経済的に自立できておりません。マネーリテラシーがめちゃくちゃ低い人間です。

マネーリテラシーとは

お金に関する知識や判断力、そしてその知識を上手に活用する能力を指す。経済的に自立してより良い生活を送るために必要で、社会の中で安定して生活するために欠かせないもの。

なぜ、貯金ができないのか?

なぜ、給料の範囲内で収めることができないのか?

この当たり前のことができない理由について、幼少期の記憶を辿り、紐解いてみようかと思う。

小学生の頃の記憶

幼いころは、お菓子、おもちゃ、ゲームなどは買ってもらえず、両親の口癖は『お金がない』だった。そのため、子どもながら『家は貧乏なんだ』と感じつつ、友達のおもちゃなどを羨ましく見ていた記憶がある。(実際は、平均的な生活水準だったが、高校生になるまでそれが分からなかった)

お小遣いがなかったので、唯一の楽しみがお年玉だった。

お年玉をもらう時は、1,000円よりも500円のお年玉が欲しかった子どもであった。理由は、お札よりも硬貨の方が保存性に優れていると考えていたから。

お札の場合、何かの拍子で、破ってしまったり、濡らしてしまうと使えなくなり価値がゼロになる可能性があるが、硬貨であれば、紛失を除けば価値を保てると考えていた。

こう見ると、保存性を重視し、貯金を前提としているように感じるかもしれないが、当時の想定していた保存期間は数日間であることに留意してほしい。

つまり、数日間で使い切る前提で、お年玉をもらっていた。

お年玉は親から一部しか貰えなかったが、好きなお菓子を買うには十分な金額だった。それが、溜まりに溜まった欲求を開放する絶好の機会であった。

ある年の正月、『もっとお菓子が欲しい』と訴えたことがあった。呆れた父親が、お年玉で好きなお菓子を1万円分買ってくれた。その記憶はいまだにハッキリと覚えている。一度だけだったが、とてもワクワクしたことが強烈に脳に刻まれている。

(父親の狙いとしては『一度にこれだけのお菓子を与えれば、さすがに飽きるだろう』と考えての行動だったみたい。後にも先にも、その一度だけだった。)

しかし、父親の狙いとは、逆の効果を与えることになり

『お金を使うことで非日常的な喜びが得られる』というのが、私の脳に刻まれていた。

貯金という概念

常に、手元にお金がなく、貯金を一度もせずに成長していった。(お小遣いもないので、貯金しようがない)

高校に進学してからは、必要な時(友達と遊ぶ時)は親に相談してその分をもらっていた。

なので、貯金という概念がないまま、大学生になり、アルバイトでお金を得るようになる。アルバイトで稼いだお金だけではなく、毎月入金される奨学金も綺麗に使い切っていた。

パチスロに出会うまでは、奨学金以外の借金はせずになんとかできていた。

子どもの頃に培った『貯金という概念がなく、お金が必要であれば親にお願いする。』が土台にある。

子どもの頃の記憶をまとめると、

  • お金を使うと普段得られないワクワクを感じた
  • お金を自分で管理したことが一度もない
  • 貯金という概念がまま成人になった

この3つの要素が、現在の私のマネーリテラシーに大きく影響しているのかもしれない。そう考えると、納得できる。まさに、納得のマネーリテラシー。

同じ環境で育った兄弟との比較

しかし、一点だけ不可解なことがある。

それは、弟と妹はちゃんと貯金ができるのよ。

おそらく、大学生の頃にそういう習慣を身につけたと思われる。弟と妹は、大学生の頃には貯金していた。ちなみに、弟もパチスロを打つが、趣味としてちゃんと成立している。現在は、マイホームも購入し、貯金もかなりある。

やはり私が異常なだけかもしれん。

兄弟と比較して、欲求を満たすことに対して貪欲だったということ。勉強に対する姿勢を見ても明らかで、弟と妹は、勉強に対してあまり関心がなかった。

一方で、私は、解けたときの快感を得るために、授業やテストで解けなかった数学の問題を、学校の行き帰り中も、脳内でずっと解法を考えていた。

思い返すと、少し異常なのかもしれん。解けなかった問題の解法を考えて、考えて、考えて、2、3日かけて解けた時の快感はやばかった。ちなみに、興味のない教科(文系)については、最低限しか勉強しないスタイル。

私は、欲求を満たすことに能力を全振りしたのだろう。

そもそも、ブログを書いて多くの人に読んでもらいたいなんて、承認欲求の権化のようなものだしな。また、タバコがやめられないのも、このような気質が原因なのかもしれん。

結論

ここまで長々と考察したが、本記事の結論として…

欲望のまま生きてきた結果、限界おじさんというモンスターが誕生してしまったというわけだ。

自分が選択した道を歩んだ結果や。

ただし、この欲望を達成するためのパワーの使い道が違っていれば、現在とは異なる世界線を歩んでいたのかもしれない。

仮説だが、ギャンブルで多額の借金を抱える人間は、そういった気質があるのではないか。すべてを投じてまで何かをやり続けるのは、普通の人間ではできないぞ。依存症と一言で片づけるのはどうかな。

仕事に依存して、とんでもない成果はあげる人間もいる。イチローも大谷も野球依存症かもしれないよ?野球を通じて、目標を設定して、達成する喜びを得ることが原動力になっているのであれば、ギャンブル依存症と本質的には変わらん(暴論)

物事は常に表裏一体の関係にある。短所も視点を変えれば、長所となる。

断っておくが、自分を正当化するつもりはない。納得のいく人生を歩むためには、人それぞれの正解があるから、一概に何が正しいなんてことは言えないということを伝えたいだけ。

私の場合、生活に支障をきたしているので、マネーリテラシーについては矯正する必要がある。子どものころに習慣づいたことを大人になって矯正するのは、時間も労力もかかるのは分かっている。そのため、長期戦を覚悟している。

貯金に快感を見い出すことができれば、秒で解決しそうだけど。

以上。

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