おはようごぜぇます。限界おじさんです。
最近、白髪の増加と肌の質感の変化をすごく感じる。歳なんでしょうね。
鏡に映った自分を見て、色々と考えることも多い。
30代の時もそうだったが、節目の年齢というのは心境の変化を伴うもの。
よく、『若さは資産』というが、この歳になってその意味が少し分かってきたような気がする。
自問自答
『もし、1,000万円払えば、10年前に戻れるとしたらどうする?借金してでも払う?』と、自分に問いかけてみたの。もちろん、現在の経済状況(多重債務者)で。
答えは、迷うことなくYES(払う)!
借金が1,000万円増えてもまったく問題ない。
で、逆に『もし、1,000万円貰えるかわりに、10年後にタイムスリップするとしたらどうする?貰う?』と、自分に問いかけてみたの。
答えは、もちろんNO(貰わない)!
たとえ、2,000万円貰えるとしても『ノー!(貰わない)』だ。
つまり、借金の無い40代よりも、借金1,000万円の30代の方が断然価値があると、私は考える。
若者へのリスペクト
若い頃は、そういったことを真面目に考えなかったんだけどね。
最近は、自分の周りにいる若い人へリスペクトを持つようになった。これまでも、年齢関係なく敬意を払っていたんだけど、現在は、少し違った視点で敬意を持って接するようにしている。
『無限の可能性を秘めた若者がこれからの日本を担う』とかそういった類の話ではなく、シンプルに若い時にしかできない経験や思い出って、非常に『尊いもの』だと思うのよ。
自分自身、20代・30代を振り返ってみると、苦しいことも楽しいこともたくさんあったが、それらの経験や思い出が、現在の人生における軸となっている。
40代になって、同じ(20代・30代)経験ができるか?と問われれば、それは『不可能』だと断言できる。
あの頃の年齢
あの頃の人間関係
あの頃の立場
あの頃の未熟さ
あの頃の社会情勢
など、様々な要素が絡み合い、ある種の化学反応が起こって、偶発的に得ることができる経験である。
たとえ、ダラダラと過ごしていたとしてもだ。(語弊があるかもしれんな。不本意にダラダラと過ごした場合は除く。)
それだけで尊いのよ(意味不)
その人が、40代にしかできない経験や思い出、50代にしかできない経験や思い出も、もちろん尊いが、やはり、20代・30代のそれとは大きく異なるものだと思う。
20代・30代の経験や思い出というものは、人生の方向性を決める際の重要な指標になる。納得のいく人生を歩めるかどうかの貴重な期間。
そういった意味で、自分より若い人には、今まで以上に敬意を持って接していきたいという考えに至ったわけ。少なくとも、それらを阻害したくないと思うようになった。
おそらくだが、私が気づいてないだけで、これまで関わった先輩や上司もそのように私と接していたのかもしれない。未熟な私の意見に耳を傾けて、やりたいようにやらせてもらった記憶ばかり。
当時の私は『自分は仕事ができて企画力もあるからアイデアが採用されている』と思っていたが、今、振り返ってみると、決してそうではない(恥)
仕事においては、少しの成功と多くの失敗を経験した。先輩や上司には、めちゃくちゃ迷惑もかけた。トップにも怒られた。
これまでの慣例をぶち壊そうと試みて、派手にやらかしてプロジェクトの失敗事例として毎回、話に出てくる案件の担当者として恥ずかしい思いもした。
でも、それらの経験を経て、知らず知らずのうちに成長させてもらったのだと思う。これまで歩んだ人生については、そこそこ満足している。
先輩達と同じようなことは私にはできないが、ただただ、見守っていこうかと思う。私にできるのはそれぐらい。
ちなみに、年齢関係なく、『こいつ終わってんな』と認定した人間に対しては、道端に落ちている石ころ以下の存在として扱うけどね。
これから
とりあえず、私は、これからもダラダラ過ごして、40代(今)にしかできない経験や思い出と引き換えに、己の資産価値を目減りさせていくつもり。
こうやってブログを書いていることも、借金の返済に追われてクソみたいな生活を送っていることも、10年後には、尊いものになっているはずだから。
それだけ。それだけの話。
(自問自答のくだりだけを書く予定が、気持ちが熱くなって予定より長文になってしまった。)