こんにちは。kazです。
本日は、長年に渡りパチンコ・パチスロ店に通ってきた私の心境の変化について書こうと思う。
さっそくだが、本題に入る。
私が初めてパチ屋に足を踏み入れたのは大学2年生の頃。当時は19歳のピチピチ学生。
それから20年以上の歳月が流れ、気がつけば白髪混じりの中年になっていた。
授業を休んで友人と朝から並ぶ日々。
バイト仲間と打ちに行った思い出。
社会人になってからも仕事帰りに同僚と打ちに行く日々。
振り返ると、20代までは“誰かと打ちに行く”ということが多く、喜びや悔しさを共有することができた。
しかし、30代になってからは、誰かと打ちに行くことはなくなり、一人でパチ屋に通うエブリデー。
理由は、周りの人間は家庭を築き、子育てや仕事におけるキャリアアップなど、新たなライフステージに突入していたからだ。
正直、30代後半くらいまでは、そのことについて特に気にしていなかった。
自分の好きなこと(パチスロ)に、時間を割くことができる人生に喜びすら感じていた。
ところがどっこい。
40代になり、無機質なパチスロの筐体の前に長時間座り、レバーを何千回と叩いていることに虚しさを感じることが多くなった。
友人たちは、家庭を築き、マイホームを建て、仕事でも頑張っている。
会社の同僚も、優秀な奴はものすごいスピードで出世しており、キャリアの差は開くばかり。
一方で、私は20年前と変わらず、猿のようにレバーを叩いて、見飽きた演出に一喜一憂する。
一人だけ大学生の頃から時間が止まっているような感覚に陥ることが多くなった。
学校が会社に変わっただけで、生活スタイルの変化というのはない。
同年代の人間は、それぞれ新たなライフステージで新たな経験を得ている。
本当にこれでいいのかと自問自答することが増えた。
いや、結婚したいとか、出世したいといった願望はないよ(キッパリ)
ただ、このまま、人生が終わるまで同じことを続けることに不安のようなもの抱えるようになった。
一度きりの人生だよ?パチスロに人生の大半の時間を費やしていいのか?後悔はないのか?と。
Mr.Childrenの『花』の一節にある
同年代の友人達が 家族を築いてく
人生観は様々 そう誰もが知っている
が胸に刺さる。